1959-09-11 第32回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号
機構が終了した後の人の問題である、こういうふうに私は理解するわけでありますが、ぼつぼつこの事業も終りに近づきますから、私ども、それが後つたあとには、速急にこの技術者を動員いたしまして、——どういうふうな仕事をやっていくか、まだ幾らでも仕事があるのですから、具体的な構想を示して御安心を願うつもりであります。
機構が終了した後の人の問題である、こういうふうに私は理解するわけでありますが、ぼつぼつこの事業も終りに近づきますから、私ども、それが後つたあとには、速急にこの技術者を動員いたしまして、——どういうふうな仕事をやっていくか、まだ幾らでも仕事があるのですから、具体的な構想を示して御安心を願うつもりであります。
ささやかなパーテーあたりを国会が終つたあとに、常任委員長から、正副議長を全部吸い上げとつてそして社会党と一緒にパーテーをするということをしておつて、こういう問題はほおかぶりして派閥構成の代表を選んでそして国会議員の身分のまましかもそれを与党側だけから純国費で行かれるという状態に問題があると思う。これはあなたに言ってもなんですから、きょうはこの程度耳に入れておきます。
そこで、まずそう遠くない期間のことを言えばあなたもわかると思いますから申し上げますが、去年十一月二十七日の大乃の会合では、一席やつたあと時間がおくれて、十一時ごろ紅馬車へ行つておる。その紅馬車へ行つたときの相手は、天川氏も行つておるし、由比氏も行つておるはずです。由比氏は行つておりませんか。
○志賀(義)委員 そうしますと、八月九日に私が伺つたあとでそういう手続が行われたように、今のお話は受け取つてよろしゆうございますね。
しかしこれを妨害しようという計画のあつた立場としては、入つたあとそれを黙つて見のがすというわけにはもちろんいかぬのでありましよう、それを気づきました側におきましては、一昨晩からその外をうろうろしているという状態が朝の三時ごろからございましたけれども、夜明けに至つて正門と裏の金網のところから多少の者が押し切つて入つた。このために十九名を建造物侵入で現行犯逮捕いたしたのであります。
さらにもう一つ伺つておきたいと思いますのは、先般、郵政大臣は、春闘の終つたあとで、この前の闘争が終りましたあとで郵政省の職員、全逓の組合員に対して、二十五年の大量馘首に次ぐ大量馘首もやむを得ない、こういう言明を行なっております。そこで大量というエックス的な数字ではわからない。一体、大量とは何を根拠にどの程度のことをさしているのか、それを承わつておきたい。
○国務大臣(宇田耕一君) アメリカに行きますのは、日米合同会議、それから東南アジアから六十人か参りまするから、そういう諸君を迎えて、東京で将来の原子力に対するいろいろな考え方を打ち合せをし、あるいは会議をする、こういうわけでありますから、外国からお客さんを迎えておいて、その諸君が帰るというときまでは、われわれは礼儀としておらなければならぬと、こういうふうに思っておりますから、国会が終つたあと、何日それにかかるかということにつきましては
それから東南アジアからも人を迎えるのですが、その意味で向うから、今度は終つたあとで向うのAECとそれから民間の団体、そこから招待状を受けております。人をこっちへ呼んで来てもらつて、そうしてこっちは向うに呼ばれたと、こういうことになっておりまして、自身は向うのAECの、あるいは民間の団体の求めに応じて……。
その前払い金を払つたあと、請負業者が何かの事態で工事を中座するとか、何とかいうことになって、その前払い金が取れないというような事態が起きます場合には、非常に発注者の方で迷惑をいたしますので、それを保証するためにできた建設大臣の監督下にある一種の国策会社ともいうべきものでございまして、全然自分で土建工事をやるとか何とかいうことでもございませんし、もちろん旧軍港市の国有財産の処理については直接関係は全然
車両の新造につきましては、これは管理庁の方でも将来の問題としてということでございまして、私どもの方としましても鋼体化その他の改良が終つたあとにおける工場の能力については、いろいろ研究をいたしておりますが、しかしながら直ちに車両新造は自営の方がいいという結論に到達するのには、まだ検討すべき多くの問題が残つておると存じます。
その結果基準法も何も一切を無視されまして、例えば出勤すれば幾らもらえるというような仕組みでございまして、例えば今日一日の労務を終了いたしましても、明日何時に乗るのか、本日のダイヤが終つたあとでなければ明日のダイヤがわからないというような実情でございます。
ところがその通つたあとにおいて、どういうことを取締の面においてやつておるかというと、二百円、三百円というのはどう探してもない。科料を受けているのは全部五百円から八百円です。科料を値上げしてしまつた。そういう根拠がどこにあるかと私は問いたいのですが、そういうふうに値上げしてしまつたのです。
ただこの問題は、来年にでもなつて年末年始が終つたあとで、例えば一割減車してやることは覚悟しておりますが、そういつた方法によつて需給のバランスがとれる、これは実施されたら基礎ができて来るものと思つております。
それから、一九四八年だつたと思いますが、大方の人が帰つたあとに残つた人、この人たちに対して、自願で残るのであるということの証明を中国におる方全部がさせられました。そのことについて一斉申し上げたいことは、この地に帰つた人が、自顔で残つていた人であるかないかによつていろいろ差別があると思われますが、これをぜひとも修正してほしいと思います。
これは、そのときの状況でやむを得ず残つた、あとになつて帰りたいと思つても方法がなくなつてしまつたと言う方が正しいんじやないかと思います。 それから、ヴエトナムにまだ相当残つてないかということは、私先ほど申し上げましたように、ヴエトナムの北部と中部におられた方は、大部分は今度の七十一名で帰られたのではないか。そのほかに何人いるかということは私はわかりません。
率直に申しましてこうなりました原因といたしましては、一つは会社創立当初比較的早期における開発地点の指定がございました関係からいろいろ不慣れな点がございまして、本来ならば開発計画、工事計画或いは地質調査等が精密に終つたあとで、本格的な補償の交渉に入るべきであつたのでございますが、工事を一方において急ぎまする気持も手伝いまして、補償金額の一部支払のほうを先に急ぎました関係上、非常にちぐはぐな結果になつてしまつたのであります
くなつたという理由について御説明があつたので、むしろそれは多くなければならん、むしろこの内容から行きますと、その経営資金の使途というものは飼料とか肥料薪炭、原木等の購入費とか炭窯の造築費というようなことになつておるので、今年の肥料代も或いは又飼料代も全然払えないから何とかして貸してもらいたいとか、或いは農手の場合についても払えないから借替資金を貸してもらいたいというふうに言つておる、誰が聞ても二年重なつたあとのときは
それから追悼演説の終つたあとに、吉川兼光君が外国に行く請暇の願いがありますから、これはこの前決定しております通り、議長が許可するということで最後にお諮りいたします。こういうことにして本日の議事を終ることにいたします。
従つて資料を出してほしいと要求したわけですが、その資料が先般委員会が終つたあと我々に配られました。併しこの資料はあとほど説明を承わりますが、私が要求した資料とは似ても似つかんものなのです。この資料はただ三十年から三十四年度の五カ年間に子供が幾ら殖えるかということを示しただけであつて、私はこういうものを要求したのではなくて、三十年度か子供が幾ら殖える。
もう一軒の方の、ちようど私の働いておつたあとに行つた方が私のお友達でありましたから、事情を聞いてもらいましたところ、そこの主人の言われるには、司令官からのあれで、やめさせろというようなことでやめさせたということを、その間に聞いております。 それから毎日働かされるCIDのルテナ・カーネルの家に行つたわけです。
だから全体の行政についての監察ということを、これはまあ会計検査院の機能についての検討、そうしてどうするかという問題もありましよう、それから今の行政監察部をどうするか、或いはこういうものを一本にして、そうして現に施行しているものに対しての監察と、それから使つたあとの監察、両方を一機関にやらせるということも或いは考えられるだろうと思うのですが、そういうようなことをいろいろやはり考えて見る段階じやないか。
それに対して代金を払つたあとになつて物が入つたというもの、それから今度は深川の貯材堀で降さずに直接大井、大宮の鉄道工場に輸送するものがあるのでありますが、こうしたものは降したりする経費が節減されるという意味におきまして、相当な金額を引いておるというのが従来の契約様式であつたのでありますが、本件の場合にはそうしたことをせずに、深川の貯材堀に入つたものとして、事実は大井、大宮に直送したものを深川貯材堀に
私は念のために伺つたのですが、あなたの答弁では法律が通り、予算が通つたあとに増員されるという答弁をされたわけですが、それは絶対間違いありませんね。